ナイチンゲールは看護の道を志しますが、そのことに彼女の両親は大反対でした。というのも当時の病院というのは、汚くて危険な場所で、またそこで働く看護師も「大酒飲みで単なる下働き」といったイメージでした。今の日本のような「国家資格取得者」「専門教育を受けた専門医療人」「看護医療のプロフェッショナル」のような仕事ではなかったのです。
両親は彼女が頑なに看護師を目指し、結婚すら拒否して自分の道を進もうとする姿に戸惑い、結局、カイザースベルト(ドイツ)で看護を学ぶ許可を出します。ナイチンゲールは研修先の病院で傷病者の看病にあたるのですが、そのときのことを、こう書き記しています。「人生を慈しむということについて、やっと理解した」と。これまでにないほど幸福な時間だったようです。