ナイチンゲール博物館は3つのパビリオンに仕切られ、それぞれにナイチンゲールに関する写真や音声、資料が飾られています。その中に「ガサガサガサッ!」と人が走り回る足音が聞こえる空間があります。物々しく、さわがしい足音です。そこは戦場でした。
ナイチンゲールはクリミア戦争に従軍し、スクタリの兵舎病院で看護をします。その病院は6キロにも渡り、ベッドが並べられ、そこに戦争で負傷した兵隊が収容されていました。しかし、当時の死亡率は98%以上! つまり、そこはほとんど病院ではなく、死を待つ場所でした。
ナイチンゲールはそこで不眠不休で働きました。汚れた病院を清潔にし、薬や備品を調達し、美味しく栄養のある食事が患者に与えられるように物流・保管・管理・調理・配膳を整えました。回復した兵士は病院内の学校で文字を習い、喫茶店でくつろぎ、そして家族に送金できるように環境整備をし、残念ながら亡くなった兵士の家族には手紙を書いた、と言います。ナイチンゲールの存在は現代の「看護師」という職域をはるかに超えていました。そして、それも彼女にとっては「看護」「やるべきこと」だったのだと思います。ナイチンゲールは、この環境改善という大仕事を約1年半でやり遂げました。(敏塾塾長 富士/2014年6月16日)